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ハインライン『夏への扉』のあらすじと読み方

2017/09/02
category - 未分類
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 大学の教養演習(SF論)の今年の夏の課題図書だ。学生たちは、きちんとこれが読めただろうか。

 なぜこれが日本でしか受けないのか。駄作だから、魅力が無いからではない。生々しすぎるのだ。とにかく、日本のSFファン、とくに70年代の連中は、ノリでSFを語るばかりで、文学として小説を読む素養を欠いている。つまり、SFファンの自分が大好きなだけ。だが、文学として読む、ということは、心の痛みを感じとること。それが無いから、雰囲気として、好きとか、嫌いとか、ガキみたいな感想を評論と勘違いする。

 とくにハインラインは、めんどうな人物。軍人だがエンジニア、極左自由主義の極右保守主義者。アナーキーで厳格な組織人。大人にして子ども。そして、アメリカのドイツ人。この問題が透けて見えてしまうから、脳天気な日本人のように、かんたんに、好き、とか、嫌い、とか、言うだけでは、カタがつかない。『宇宙の戦士』もそうだが、軍隊の礼賛と軽蔑ががっちり絡み合ってしまっていて、読むと痛々しい。『夏への扉』は、それがもっとひどい。

 おそらく、SFガジェットてんこ盛りのパフェのような体裁に、バカな日本のSFファンは煙に巻かれる。挙げ句に、ロリだ、とまで言う。ちゃんと読めよ、リッキーが41歳になっていたとしても、30歳の自分には必要だ、って、書いてあるだろ。テーマは、信頼だ。リッキーの対極にあるのがベルで、こいつも、もともと年齢が上だか下だかわからないバケモノ。つまり、二人の女性は、シンボリックな永遠の存在。いつの時代にも、リッキーがいて、ベルがいる。

 起点にあるのは、1965年の六週間戦争。これが、主人公ダンから、母と妹を奪った。リッキーも、この戦争の間に実母を亡くし、その再婚相手のマイルズ、そして、インチキ戦争未亡人で、マイルズの再婚相手のベルの手に引き取られることになる運命。会社も特許も奪われてヤケになったダンは、こんな冬の時代はイヤだ、と、愛猫ピートと30年のコールドスリープして、その間に資産利殖を企むが、その直前にマイルズやベルに契約を書き換えられ、ピートも放り出され、1970年冬、ひとり、2000年へむりやり飛ばされてしまう。

 2000年、彼の冬の寒さは、むしろ悪化している。予定の資産利殖は、失敗。コールドスリーパーに対して、世間は冷たく、厄介者扱い。だからこそ、ピートはむりでも、せめてリッキーには、たとえ彼女が41歳になってしまっているにしても、会いたい。しかし、ようやく居場所を見つけたと思ったら、すでに結婚して、どこかへ去っていた。

 その一方、彼の考えていた発明が、自分と同じ名前の人物によって1970年に特許取得されている。なにがあったのか知りたい、と、トウィッチェル博士を挑発して、片道切符のタイムマシンで1970年の5月に飛ばさせる。ここで彼自身がその発明をして特許を取り、放り出されたピートを捕まえ、リッキーに危機を避ける方法を伝えて、ピートと再びコールドスリープで2001年春へ。そして、ここで、1981年にコールドスリープしたリッキーと落ち合い、結婚。

 作品としては、3部ないし3部半の構成で、1970年冬、2000~01年、1970年春~冬、そしてハッピーエンド解決の2001年春、となっている。最初がとにかくトロい、クドい、しつこい。一方、第二部の2000年は、いきなり看護人がロボットのイーガー・ビーバーで、謎解きの御都合主義が目立つ。ようやく第三部でテンポよく、最後のエピローグになだれこむ。

 第一部や第二部がクドいのは、次々と、どうでもいいSFガジェットのエピソードに脱線するから。かろうじてダーティング・ダンが筋の中に出てくるだけで、その他のほとんどすべては、ハインラインの思いつきを挟み込んだだけ。筋とはまったく関係が無い。タイムマシンだって、SF的な裏付けが薄い。本文にもあるように、過去を知るだけなら、資料で十分。ピートを救う、リッキーと30年の約束をする、というハッピーな解決の伏線の埋め込み直しのために、どうしても、過去に本人が戻る必要があった。

 だから、この作品の核となるのは、じつはコールドスリープの方だけ。「夏への扉」と、「コールドスリープ」は、対になっている。夏への扉が理想の夢なら、コールドスリープは、延々と続く悪夢そのもの。いま、日本で読んでもわかるまい。だが、当時も、そしてその後の米国でも、これが〈徴兵〉なのは、あまりにも明らかだった。だから、この話は、嫌われた。ハインライン自身、1925年の18歳から十年間、従軍している。しかし、その間の結婚に失敗、海軍で結核に罹患し、傷病除隊後、生活は困窮。第二次世界大戦でふたたび技師として従軍し、1947年に10歳年下のジニーと再々婚して、ようやく作家として成功する。

 従軍、とくに長期、外洋に出て連絡が取れなくなる海軍の艦艇勤務は、コールドスリープに等しい。『シェルブール』や『ひまわり』でも語られるように、愛情も、関係も、引き裂く。それどころか、委託してあった財産も、途中の事情の急変に対応できず、露と消える。帰ってきても、なにもかもが変わってしまっている。そのうえ、『ランボー』同様、世間は、帰還兵に対して、時間の抜け落ちた、使いものにならない者、として冷たい。お人好しで、だれでも信じ、すべてを失ってしまうダンは、その象徴だ。政府補助のスクラップ工場くらいしか、働き場が無い。

 コールドスリープは、もうひとつ、ドイツ系アメリカ人にとっては、目前の現実でもあった。ドイツ系移民は、米国に来たのも遅く、祖父祖母はドイツに残った場合もすくなくなかった。それが、第二次世界大戦の勃発で、米国内で敵性を疑われ排除される一方、ドイツ本国の親族との連絡を絶たれた。戦争が終わって、その生死を記録でたどるのは、容易なことではなかった。通貨は紙くずになり、財産も瓦礫の中に消えた。くわえて、この小説が書かれた1956年、ベルリンには壁が築かれ、東西の親族さえも分断された。東側に呑み込まれた者の消息は、米国ではまったくわからなくなった。

 信頼と家族、財産。ハッピーエンドは、現実の悲惨さの陰画だ。徴兵される前に、戦争が始まる前に、壁が築かれる前に、こうしておけばよかった、という後悔の裏返し。そうしておけば、いまごろは、という、ありもしない、失われた現在が描き出されている。最後でパラレルワールドが語られ、こんなタイムリープは二度と繰り返したくない、この幸せを失うかもしれないから、と言われる理由は、これ。こんな痛々しい話を、爽やかで、希望に溢れている、なんてバカな読み方をするのは、徴兵も、戦争も、壁も知らない、平和ボケした脳天気な70年代の日本のSFファンだけ。