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消費者を主人公にするCM

2010/06/30
category - 未分類
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 コンテが先にあり、それに合う絵を撮るなら、それは嘘だ。このやり方をする限り、CMは袋小路に陥る。資生堂にはいまだにそのことがわかっていない。ところが、杉山が残した難題に対し、坂田耕(1944-)と市川準(1948-2008)が正面から向き合った。

 二人は、たしかにモデルやタレントを使う。だが、コンテには依存しない。なんの指示も出さず、黒澤並の超望遠で、遠距離から、ひたすら回し続ける。坂田はビデオクリップのようにイメージショットを編修し、市川は生活ドラマをのぞき見るような視点を使う。いずれにせよ、カメラは空間に溶け込み、軽やかに風に舞う。

 そう、商品やモデルを撮してはダメなのだ。その商品を買ったときに消費者自身が主人公として味わえる雰囲気こそが、CMの説明すべきものだ。坂田や市川は、まさに商品の外の雰囲気の方を絵にしてみせた。さあ、あなた自身がこの舞台に立ってみませんか、と、消費者を誘い出す。リアルで誠実なCM。

 有名人に頼り、スポンサーに媚びを売るCMで、顧客に商品が売れるわけがない。それどころか、録画でスキップされる。一方、坂田や市川のCMは、DVDで買ってでもみたいと言われる。違いをよく考えてみるがいい。



(市川にも資生堂のCMがある。1999年のエリクシールなど。杉山以来の、男を意識する女、女を意識する男、というモティーフを踏襲しながら、カメラを意識しない表情が撮れている。その表情は、もはや小泉今日子のものではなく、夫婦の旅行や同窓会、心ときめく日と向き合う女性一般の美しさだ。とくに後者では、男はもはや顔も上げない。だが、同窓会という、自分自身のための女の化粧として、古いモティーフを破壊していっている。時代の違いをハンデにつけても、公私ともに作りものの、男のための美人以上のものが眼に見えなかった杉山と比べれば、テーマ性やメッセージ性は、格違いに市川の方が上だ。しかし、その後、杉山の方へ大きく揺り返してしまう。)
                                 
                                      

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