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「願いごとの持ち腐れ」とクラシック業界

2017/04/17
category - 未分類
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NHK合唱コンクールの中学校の部の課題曲。みんなの歌ではAKB48が歌っていたからか、商業主義だの、視聴率主義だの、音楽的価値が低いだの、日本語の発声を知らないだの、なんだの、とくに合唱部指導者たちが文句を言っている。まあ、一言で言えば、ジャンルが違う、ということ。逆に言えば、サリエリの時代、オペラは母音の多いイタリア語でないといけない、ドイツ語は無声音だらけで歌にはならない、と言っていた連中と同じ。

音楽的価値という意味では、ピカルディ三度休止を使うなど、和声的にわけのわからない現代合唱曲より、むしろはるかに古典的で正統的だ。構成も、これまたむしろ正規反復構造と移調、分離で、むしろ古くさすぎるくらい。発声で言えば、ベルカンテとも違うカスカスでノンビブラートの立体化にしかなりようがなく、ポップスより、いわゆる日本的な合唱曲の歌い方。

しかし、問題は、もっと根本のところ、貶している連中が、言葉にも出さないところ、出したくないところにある。それは、クラシックしかやってきていない古い世代が、致命的にリズム音痴だ、ということ。この曲は、3拍子ではなく、ジャズワルツ。ズンタッタ、ではなく、ズタッタッタツ、という、二拍目、三拍目が三連符的に前に乗って、3泊目の最後に裏打ちが入る。やつら、これができない。指導すれば、無能がバレる。それで、文句をつけているのだと思う。

もちろん若い連中は、宇多田など、とっくの昔に体得している。現代音楽だって、ガーシュイン以降、「テイクファイブ」や「クレオパトラの夢」のようなジャジーな5拍子は当たり前。バレエ音楽でも、しょっちゅう出てくるし、バーンシュタインなんか、むしろ得意とするところだ。ところが、日本の師範大学系程度では、西洋音楽の輸入、百五〇年を経てなお、これをきちんとやっていない。そのアラを衝かれた。

自分ができない=曲が悪い、という大仰な態度そのものからして、業界体質を表している。課題曲は、やりにくい分野に幅を拡げさせるからこそ課題。課題曲としてしかだれも歌わない、聞かない珍妙な曲を、仲間内で濫造し強制てきた独特の業界利権が破られたことに対する不満も本音ではあるのではないか。AKBに限らないが、「桜の栞」なみに人々の耳にすんなりと入ってくる曲を作れずにいながら、その業界的ぬるま湯を、いまなお温存しようとしていれば、コンクールはもちろん、合唱部そのものが叩き壊されるのがわからないらしい。

世代交代を甘く見過ぎだ。歌う中学生も、聞く世間も、ハートビートはどんどん進化している。古典芸能のすり足のようなものだけが合唱だ、それ以外は認めない、と言っても、スニーカーでぴょんぴょんやっている世代は、自分たちの音楽を歌い出す。音楽は、指導者のためにあるんじゃない。歌う者のためにある。それを自称指導者たちがジャマをしても、歌声はそれをすりぬけて行く。
                                 
                                      

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