ヘッダー画像

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ホームページ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

    
            

『ノートルダムの鐘』の聲の形

2016/12/22
category - 未分類
コメント - 0
                         
 『美女と野獣』に続いて劇団四季がやっている。まあ、みんな、うまくなったから、そつなくこなすだろう。また、なにしろ、あの金額だ。豪華なメガミュージカル仕立てで、楽しませてくれることだろう。機会があれば、ぜひ見に行きたいとは思っている。

 ただ、このミュージカルの経緯は、いろいろややこしい。知ってのとおり、最初は96年のアニメ映画だ。それが2002年に、ベルリンでディズニーによってドイツ語版の舞台化。これがフロリダのデイズニーパークのひとつ、「ハリウッド」スタジオズ30分版ライブで上演。だが、2014年秋、カリフォルニア大サンディエゴ校ラホーヤ劇場で試験上演され、2015年春にニュージャージー・ペーパーミル劇場にかけられた版は、アニメ映画版の楽曲の多くを使っているものの、ストーリーは大人向けに重厚に書き換えられている。特徴的なのは、フロロのプレクオール(前話)が補強された(ユーゴの原作だとプロロとカジモドは表裏一体)のと、コミックリリーフの石像3体がカットされたこと。

 劇団四季は、この新しい方の版をやるらしい。が、先の発表会で、カジモド役が大声で歌っていて、だいじょうぶか、と思った。というのも、この2015年版は、その製作途中で大きな問題にぶつかったから。それは、原作に戻るなら、カジモドは聾唖者だ、ということ。だからこそ、大音量で鳴る鐘を衝く寺男として、あの鐘楼に住んでいられる。そんな彼が、自分の声で歌なんか歌えるわけがない。それで、彼がひとりでいるところでしか歌わない、という奇妙なシバリでごまかした。だが、ごまかしはごまかしだ。根本のところで、アニメ版の段階で、まちがえた、原作の読み込みが浅かったことは、ごまかしきれない。

 ところが、カリフォルニア・サクラメントのミュージック・サーカスが今年の夏(8月23-28日)に上演した、同じ『ノートルダムの鐘』には、肝を潰された。ステージはシンプルでシンボリックで、ミニマム。もともと、劇団四季がやるような大劇場と違って、舞台が小さい。問題は、そこではない。なんと、主役のカジモドがまったく歌わない。せむしであるだけでなく、原作どおり、聾唖者なのだ。「僕の願い」を歌うのは、石像たち。そう、石像たちこそが、カジモドの心の聲の形。だから、あえて復活させた。

 カジモドのセリフは、すべてホンモノの手話。まれに声を出すが、はっきりしない。むしろ、彼にしかわからない手話で、声無しに歌う。そもそも、彼には、まわりの人々の言っていることがうまく聞こえていない。彼は、寺院の壁に閉じ込められているだけでなく、理解の壁にも閉じ込められている。ただエスメラルダだけが手話ができ、目を見つめ合って、手を握り合っているとき、ようやく言葉が通じ、心が開かれる。

 映画からもう20年。この演出を知ったら、映画のスタッフ、2015年版のスタッフは、自分たちの傲慢さを恥じ入って、ぜんぶを作り直したい、と思うだろう。彼らも、うすうす気づいていたのだ。だから、石像が必要だった。なのに、ミュージカルだから、ということで、カジモドを安易に歌わせてしまった。カジモド自身の声、彼の手話に目を向けようともせずに。

 でかい声を響かせるだけがミュージカルじゃない。スペクタクルな舞台装置というのも、もはや時代遅れ。ちゃんと手元を見て、目を合わせて聞こう。これは、もともとそういう話だったのだから。
                                 
                                      

コメント

非公開コメント