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ポケモンGOとナムコ

2016/07/21
category - 未分類
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 CNNなどだと、米国でえらい騒ぎになっているらしい。韓国でも、すでにできる場所があるとか。明日にも日本で発売?になるだろう。じつは昔、できたばかりのゲーム業界にも、いっちょかみしていた。とはいえ、学生のころ。あれからなんと、ちょうど三〇年。とても感慨深い。

 今でこそ、たまに学生経営者なんていうのが話題になるが、あのバブル直前のころから、気の利いた学生たちは、早くも多くの企業とつながりを持っていた。学園祭で企業スポンサーをつけてサンプルを配って宣伝する、なんていうのは、どこのサークルでも当たり前。個人でも、ホイチョイみたいなのが、雑誌などとタイアップして、若者マーケティングに協力していた。成城や成蹊、青山あたりの「下から上がり」(幼小中高からのエスカレーター組)は、ろくに受験勉強はしなかったが、親の資金力と共学の強みで、こういう話にはケタ外れに詳しかったのだ。(有名大学でも受験上京組は論外、男子校の慶応早稲田上がりもダメ。)

 東大とはいえ、成城学園出身だったので、そういう学生ビジネスの雰囲気にどっぷり。実際、同級生の親がマーケティングだの商品開発だのの部長クラスがゴロゴロいたし、電博やマスコミ、デパートやNTTなどなども。ちょうど教養部のころ、アーケードゲームが全盛の時代で、大学の生協にNECのパソコンのサンプルが並び始めたころ。2階の書籍部でパソコン雑誌を買って、1階で床にヒザをついて出たばかりのデータを一文字一文字、打ち込み、ときにはいろいろデータを改造し、カセットテープで保存。大学はまだ大型計算機センターに秒単位で接続するバッチジョブ。パソコンなんて、あんなもの、そうそう使いこなそうとする学生も多くはなく、それどころか、生協の兄ちゃんにあれこれ教えてもらっていた。横に商談用の小さなテーブルまであって、そこはパソコンマニアのちょっとしたサロン。

 98が出てくると、それは、それまでのパソコンとは段違いの性能があることがわかった。カセットテープではなく、もはや5インチフロッピーの時代だ。複雑な部分ルーチンがあちこちにあって、データも長大になり、店先に座り込んで打ち込めるようなものではなくなってきた。手元にほしい。が、生協価格でも、本体だけで百万円以上。モニタで三十万。プリンタが三十万。その他のケーブルなども、とんでもない価格。もとより父親が国立大学教授とはいえ、遠距離の二重生活。運悪く、このころ母親が長期入院、弟は美大。自分も大学院で研究者志望となると、家計にまったく余裕は無い。それどころか、火の車。

 それで、当時、アーケードゲームで、やたら上り調子だったナムコの社長、中村雅哉さんに相談した。「遊びを科学する」というのが、コーポレイトコンセプト。ありがたいことに、秘書室の甲斐さんが、うまく取り次いでくれた。もともとはデパートの屋上の回転木馬などの遊具を作っていた会社だ。学生紛争で新宿が荒れる以前のデパートは、レストランを含め、子供の夢の国だった。いろいろな屋上の遊具についてもよく覚えていた。生意気にも、当のメーカーの社長に、喫茶店に蔓延するアーケードゲームを批判した。ところが、社長も、あのアーケードゲームが嫌いだったのだ。パソコン代くらいだったら、出してやるよ、そのかわり、人間学として遊びの原点を考え、新しいアイディアを創造しろ。

 ホイジンガだの、カイヨワだの、けっこう専門的なところを読み込んだ。社長も私も一番の問題に感じていたのは、当時のアーケードゲームの「勝利」が、すべて敵の殲滅だったことだ。そんなのが、遊びか? 屋上の遊具に、潜水艦に魚雷を当てるゲームくらいはあったが、木馬でも、電車でも、勝ちも負けも無い。ただ遊んでいることそのものが楽しい。この遊び本来の楽しさを、アーケードゲームは失ってしまっていないか。それで、あえてコントローラーの無い「ハングオン」(バイクに乗って自分が全身で傾けないと曲がらない)みたいなのを、当時のナムコは作った。

 その後、あいかわらず、「ストリートファイター」のように、敵を倒すゲームが続いたが、その一方で、他社を含め、DDR(ダンスダンスレボリューション)や、「アイカツ」(御着替えファッションセンスゲーム)、「ポケモン」など、敵を倒すだけではない、友達とつながって一緒に遊べる工夫がさまざまに出てきた。

 で、話は戻って、完全仮想空間ではなく、現実の上にレイヤーとしてヴァーチャルリアリティを載せる、というのが、3Dとカメラの空間理解で十年くらい前に可能になった。それとGPSを組み合わせるゲームというのは、昨年の夏に「イングレス」として、うちうちではひそかにはやった。しかし、やはり陣取り合戦の勝ち負けゲーム。敵を倒す、という根本のところが腐ったまま。遊びの哲学無しに理系にゲームを作らせると、こういう人間性の疑われるようなものしか考えられないらしい。

 そして、ようやくポケモンGOだ。ポケモンだから、その対戦というベースは残ってしまっているが、それ以上に、ゲームを持って外に出て、新しいともだちとつながることができる、という面白さが世界にウケているのだと思う。プロゲーマーなどならともかく、一般の人が遊ぶもの。まだ新機軸は粗削りで、いろいろトラブルも出てくるだろうが、あの楽しかったデパートの屋上で過ごす時間、知らないともだちと公園ではじめて出会って話しが盛り上がる喜び、そういったものが、そこから生まれれば、と願っている。

いや、それだけじゃない。中村社長、甲斐さん、そして、世話になり、面倒をかけ、いろいろ教えてくださった当時のナムコのみなさん。あの時の恩は、いまも終わっていない。あのとき、チャンスをいただけたからこそ、それが今の研究者としての道につながった。その後も、いろいろ勉強し、資料を集め、遊び、ということを真剣に考えてきた。三十年がかり、それどころか、自分の考えをまとめるには、もうすこしかかりそうだが、いつかあのときの宿題を、きちんとした形で研究として仕上げたい。
                                 
                                      

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