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国立競技場A案

2015/12/22
category - 未分類
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 やっと決まったらしい。もともとどちらも悪くなかったが、A案の方が時代に合っていると思う。もっとも大きな違いは、建築思想だ。設計したのは、隈研吾。彼自身が大きく変節した。ちょうど時代の境目なのだろう。安藤だの、ザハだの、そしてB案の伊東豊雄だのは、いまだに建築をモニュメンタルな独立造形物と勘違いしている。

 設計図はともかく、すべての現実の建築は、現実の環境の中に置かれる。その現実の環境との連続性の無い、ただモニュメンタルな違和的なものは、目立つランドマークとして観光名所になっても、周囲拒絶的で、地域連続的な生活の場、仕事の場にはならない。実際、近代建築の多くが、この十数年、どうやっても時代の変遷と地域の調和を取り込むことができず、取り壊しせざるをえなくなってきた。表面を画き割りのように残すのがせいいっぱい。

 ほんとうは住宅などもそうだ。プレハブがハヤリだが、個性的すぎる。街並みのことなんか考えていないバカだらけ。それでぐっちゃぐちゃの新興住宅地ができて、熟成する間もなく、人がいなくなっていく。家はともかく、街として、住みたい、と思わせる品格や風格が生まれない。自分たちで、自分たちの街の価値を毀損してしまっている。

 ヨーロッパだと、地域ごとに、ものすごく因習がうるさい。屋根の色から窓の造作まで近所が口出しする。米国だと、コミュニティの契約書まであって、高級住宅地では庭木まで決められている。だが、それこそが地域の価値を守り高める要諦だ。大型建造物についても同様で、新たなリーディングコンセプトを示すことと同時に、それが周囲にも展開しうる余地を示していないといけない。
                                 
                                      

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