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美しい明朝の条件

2014/06/13
category - 未分類
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 フォントは明朝に尽きる。ごちゃごちゃ、わけのわからないフォントが粗製濫造され、どれもこれも使い捨てにされているが、どうでもいい。問題は、明朝だ。

 視認性だの、伝統性だの、それぞれにどのフォントも能書きたれだらけ。だから、ダメなんだ。明朝の恐ろしいのは、それが書道であるということ。デザイナーの品格がモロに出る。下品なやつが、どうこねくり回しても、どうにもなるものじゃない。自意識過剰の変な明朝、ゴシックまがいのやつなんか、バカがうつる。恥ずかしくて使えるか。

 なんて言っていると、ほんとうに良い明朝は、とても少ない。築地みたいに古ければいい、というわけではない。自分があの時代の文体、あの時代の感性でもないのに、あのフォントを使うのは、時代錯誤のアホが今の時代にチョビ髭にカンカン帽で浅草に牛鍋をつつきに行こう、と言っているくらい恥ずかしい。 あのフォントがいい、これはダメだ、なんて、フォントの評論をやっている連中は、結局、フォントではなく、自分の品性、生まれ育ちを語り出してしまっているだけ。変なフォントがいい、というやつは、その程度の品性、ということ。

 じゃあ、おまえは、と聞かれるなら、まあ、IPAか、と思う。林隆男は、筆を踏まえた上での明朝をまとめた。ただ、これも大きな問題があって、そのせいで、IPAは、「も」とか「た」とかの最後の運筆の跳ね上がりがものすごい。これは、本来、縦書きである明朝を、むりやり横書きにして、次の文字の左上につないでいるため。だから、縦書きで使うと、えらいことになってしまう。

 死んだ鉛の活字ではない、生きた、言葉の溢れ流れる明朝。それも、縦書き用がほしい。しかし、それには、子供の頃から、家族の温かく美しい手書き文字に親しみ、古い書や古文が身近にあり、みずからも自己を律して、きちんと書道のできるようになったデザイナーでないと無理だろう。
                                 
                                      

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