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自分の文体ということ

2013/07/09
category - 未分類
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 大学生のころから、何人もの編集者の話を伺う機会があったが、総じて、自分の文体を作れ、という助言だった。それで、いろいろ工夫した。が、作った文体は身につかない。いろいろ試行錯誤していてわかったのは、自分が好む文体がある、ということ。人の小説やエッセイで、なんとなくすらすらと読みやすいものと、一句一文にガリガリと摩擦のあるものがある。で、どうやら、自分が読みやすい文体こそが、自分の内的な文体なのだろう、と気づいた。

 自分の場合、それがどんなものか、調べてみたら、三人称ないし対象語りのフォーカスであること。しかし、同時にナレーターの主観的な視点が背後にしっかりと存在すること。かなり立体的な構造だ。意外かもしれないが、田辺聖子の小説やエッセイなんかを、よく研究した。放送作家でもあっただけに、語の呼吸のころあい、文の長短のめりはりなどがよくわかった。対象語りをしていながら、ナレーターの独白めいた修辞を混ぜ込み、にやっとさせながらも大まじめに毒づくような、感情的な抑揚のまとまりが段落になる。

 まあ、おおよその方向が決まったら、それが自分の言葉の泳ぎ方。クセがあってナンボの物書き。イヤだという人がいても、焼き肉屋でおでんを煮られるわけでなし、わがままを言わずに、どうか焼肉で我慢してくれ、というところか。ちょっとピリ辛なくらいが、肉もうまいぞ。 
                                 
                                      

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