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文学と狂気

2010/05/02
category - 未分類
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日本文学では、狂気が、能の物狂いから『河童』や『おしまいの日』『BOSS』まで、ただ話におもしろみを出すだけトリックとして、じつに安直に濫用されている。

現実の人間では、理性だけが破綻する、ということはない。通常、それは、むしろまず他者攻撃的な性格障害として表出する。彼らは、たしかに理が通っているかのような話を積みあげて他人を冷酷に攻撃する。だから、その人の話を聞くと、周囲の人々は、とんでもない極悪非道の狂人にひどい目に合わされている被害者であると思う。しかし、この批判合理性、他者攻撃性こそ、じつはまさに狂気そのものだ。そこでは、他者側の事情の理解という人間的な情感のクッションが摩滅しきっており、自分の精神破綻が相手に投影されてしまっている。

欧米の文学で、狂気の問題が悪魔と結びつくことは、むしろその現実を直視した結果だろう。たった一人の狂気が、善意ある周囲の人々の関係を寸断し、たがいの猜疑心を募らさせていく。悪魔が蛇のような二枚舌だというのも、日常世間に潜む狂人のエクイヴォケイションな特徴をうまく言い表しているように思う。

                                 
                                      

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