ヘッダー画像

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ホームページ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

    
            

ノーベル文学賞

2017/10/06
category - 未分類
コメント - 0
                         
 イシグロが取った。ボブ・ディランなどに較べれば、きわめて穏当なところだろう。取って当然だ。『日の名残り』は、技巧的にも、内容的にも、世界文学に名を刻む出来だった。一方、『私を離さないで』となると、むしろたちの悪い俗物SFのようで、あまり好きではない。

 ボブ・ディランが文学だ、というのなら、むしろジョン・レノンこそノーベル文学賞にふさわしかった。死人は無理だというのなら、ポール・サイモンの詩の方が、ボブ・ディランよりはるかに芸術性が高い。ボブ・ディランが取った以上、彼もいずれ同じ賞を取らないとおかしい。

 村上うんぬんと騒いでいる連中がいるが、それは無いのではないか。B’zや桑田が絶対にグラミー賞を取れないのと同じ。日本文学の読者というのは、日本語しか読めないやつらばかり。米国の戦前文学の元ネタを知っていたら、なにをいまさら、と、言う評価でしかないだろう。

 一方、微妙なのが、ジェフリー・アーチャー。アーサー・ヘイリーの現代業界大河ドラマのスタイルをみごとに取り込んで、それに生きた人物をほおりこみ、いくつもの傑作を残した。とくに初期の『ケインとアベル』は、英国人が見た米国。移民とエスタブリッシュの対立をシンボリックに取り込みながら、合理性を越える人間の姿を描いている。古くはユーゴの『レミゼラブル』、アイン・ラントの『水源』などにも見られる定式ではあるが、生きること、働くこと、家族、血、など、生々しさが出色だ。

 しかし、いかんせん、アーチャーは前科者。本人自身が政治の渦中のどろどろでドラマを生きたような人物。とはいえ、男爵で、終身貴族院議員。いまさらノーベル文学賞などあってもなくてもどうでもいいと言えばいいのだが、文学性においても、通俗性においても、イシグロよりはるかに格が上だろう。ヘイリーは時代に寄りすぎた。一方、アーチャーは百年後にも読まれるだろう。イシグロは線が細く、もとより今の時代のノルタルジックな共感だけで、無理なのではないか。それとも、『方丈記』のような負け愚痴の感じで読み継がれるのだろうか。