ヘッダー画像

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

ホームページ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

    
            

『インターステラー』を読み解く

2017/11/01
category - 未分類
コメント - 0
                         
 SF論の講義で『インターステラー』を題材にした。鬼才ノーラン。近頃、本のSFがファンタジー化、というよりライトノベル化する一方で、映画では『ゼロ・グラヴィティ』など、けっこうなハードSF、つまり、ガチ科学もので傑作が出ている。その中でも、これは出色だ。だが、映画だからといって、見えるものを見ていると、見えない。絵画で絵の具を見ていると絵が見えないのと同じ。

 『デューン』をはじめとして、SFのオマージュのてんこ盛り。この当たりで気付くべきなのだ。この映画で言う「星」が何であるかを。なぜ本棚を挟んで、不在の父親クーパーは、育って大人になっていく娘マーフィと向き合うのか。なぜ学校は『カプリコン1』を正史とするのか。

 宇宙だの、SFだのは、見せかけにすぎない。「星」は、物語そのもの。陳腐な物語世界とともに滅びていくのではなく、もっと別の物語世界へ。それこそが、人類を救う道。時空を越えるテサラクトは、図書館そのもの。我々の想像力は、この現実を飛び越え、別の「星」へ行くことができる。「彼ら」は、物語の読者。読者こそが、主人公をテサラクトに導く。この話そのものが、もともとメタな物語。だから、空間に時間、さらにパラレルな物語を含む五次元。

 ミヒャエル・エンデあたりなら、この生のテーマを、そのまま話にしただろう。ノーランのすごいのは、これをガチ科学で目に見えるイメージにして見せたこと。津波の星は、読み切れないほどの文字に溢れ、人生を失うような物語。氷の星は、宣伝ばかりで作者が喰って帰るためだけの不毛の物語。そして、エドマンズが死んだ後にアメリアが降り立ったのは、忘れられた、しかし、いまなお読者を待っている物語。そこへクーパーは、老いてなお、再び旅出つ。とてもシンボリックだ。

 読書は神秘的な体験だ。我々は、その世界の時間に没頭し、自分の時間を忘れる。戻ってきたときには、陽が暮れ、夜が更けてしまっている。でも、帰ってくるのでなければならない。いくら本を外側から表紙だけ見ていても、なにもわからない。中をくぐり抜け、その中側からしか、報告を返し、伝えることはできない。だから、それを、ここにこうして書いておこう。